アレキシサイミア②
私はなぜ自分の感情に蓋をしたのでしょうか。
私はもともと、おそらく、幼少期から快楽的感情を抑えて生きてきたと思います。そして否定的感情を感じないよう、追い払って生きてきたと思います。
理由は簡単です。
母親が、わたしの快楽的感情に対して、無関心または否定的態度を示してきたからです。
私が何かで1番になっても、「すごいね」「よくがんばったね」など褒められた記憶は全くありません。
それどころか、この子を褒めると「おだつ」(北海道弁だと思います)と言い、むしろ怒られてきました。
なので、快楽的感情を感じちゃいけないんだと思い、それと同時に否定的感情を感じたくなく、自分自身がネガティブな感情を感じてないフリをするようになりました。
高校生になった時に、母親の前で快楽的感情を示すことをやめました。しかし、交友関係の中でも、快楽的感情をとることで否定的な態度をとられるんじゃないかとも感じるようになりました。
私が友人と話していると、それを見た人が、「なんであいつは楽しそうに話してんだ」って言っている気がするやつになり、快楽的感情を感じることがどんどん怖くなりました。
大学時代では、母親から離れることによって、一種の反射性の何かのように、快楽的感情がドッと流れ込んできました。これが、のちのち軽躁に繋がり、その後激しいうつ状態になり自殺企図にまで至り、躁うつ病になりました。
長くなりましたが、その後抑うつを繰り返していくうちに、私は徐々に快楽的感情や否定的感情を感じるが苦手になり、感情が湧くたびに、感情を自ら追い払い、抑え込むようになりました。
まさに、感情の潔癖性です。
私は灰色の感情で生きてることで、生きている実感が現在も湧きません。惰性に生きてる日々の中で、虚しい、寂しい感覚に襲われます。
自分の生きる意味とはなんなのか、
何を人生に私は期待されているのかが、
私にはわかりません。
毎日苦しくて薬も過量服薬してますが、なかなか担当医にも相談できずにいます。
自分の、なんとも形容し難いつらさ、そこからくる過量服薬をしてしまうことが、精神科医に言えないのです。
最近は、ゆっくり、自分の身体がやわらかく、解けて行っているような気もすれば、
化石のように固まっていくようか感覚にもなります。
次の受診の時に、頑張って言えたら、
と思います。
アレキシサイミアについて①
私はいま、アレキシサイミア(失感情症)という状態にあります。
よく勘違いされやすいのですが、別に感情が消えたわけではなく、自分自身の感情を認知することができなくなった、という状態、らしいです…。
まあ、私自身としては、出来事に対して心が全く動かないので、感情が消えたも同然でしょ…って思ってますが…。
また、少し前の私でしたら、もし地下鉄で隣の人が突然意識を失って倒れても、私はその人に無関心で席に座ったままだろうと思ったり、
仮にとなりで心配蘇生術が行われても、私は全く関心を示さないだろうと思ってました。
※ちょうどその時期は、胸がずっと重く苦しくて、エビリファイや炭酸リチウムを過量服薬して毎日を過ごしていました。
このような状態から私はちょうど先月あたりに「喜怒哀楽を感じられない」「生きている実感がない」ということで服薬調整+感情を取り戻すための休息入院をいたしました。
感情を取り戻すための薬はないため、休息入院をしたのですが、結局、服薬調整にばかりDoctorの目がいってしまい、私の感情の起伏については、特に触れられることもなく退院しました。
現在も、特に私の感情に色はついてません。かっこよく言えば、灰色の感情です。
しかし、親しい友人達との会話の中で、時々胸が暖かい赤色になります。この気持ちを大切にして、少しずつ、感情を取り戻していきたいです。
次は、なぜがアレキシサイミアになったかについて、私が思うことを書きたいと思います。