純粋な相互性
前回のテーマ「死角」の続きである。
私(主体)と目の前に立ちはだかる1つの平面から一歩引いたところにいる私(客体)についてである。
私(主体)は私(客体)を見つめ、私(客体)も私(主体)を凝視する。
この2つの視線が交差しながら重なり合い、1つの直線となった時に、純粋な相互性が生じる。
しかし、私を見つめる可視性をあわらす直線は、不確かさと交換を持っている。
1つの網目と盲目全体を含んでいる。
結局のところ、見つめられる私(客体)は、主体の私のおまけにすぎないのかもしれない。
主体の私の視線に迎え入れられながら、同時に追い払われ、最終的にずっと前からそこにあった「私」といういくつものモデルに置き換えられる。
反対に、平面から見る客体である私も、主体の私と同じ数のモデルを受け入れているわけである。
つまり、見るものと見られるものはたえず入れ替わる。
これらの視線は安定してない。
「私」は常に安定してないものである。