「私」
「私」という存在は、あとは仕上げの筆を加えれば完成するのだろうか。
それとも、最初の筆すらまだおろされていないのかもしれない。
「私」という存在の核は、不自然にねじ曲がっている。
今、彼女は、画布と液体墨のあいだで固まっている。
筆を持つ手は視線に吊らされ、いや、攣らされている。
彼女の視線は、逆に、静止した動作によしかかり、支えられている。
そしてその光景は、今まさに「私」という立体的空間を解き放とうとしている。
描きかけの画布の表面が後方へ垂れ下がり、「私」に覆いかぶさる。
そして、大きくいびつな形をした「籠」の中から「私」が出てきたところで、
「私」は彼女の目に映るようになる。
そのくろずんだ胴体、その泥にまみれた顔、
それらは彼女の目に映る静止の瞬間のうちに、
振り子がちょうど真中で止まったかと思われるうちに、ちょうど見ることができるのである。
つまり、「私」は目に見えるものと目には見えないものの境に存在するのである。
そして、彼女は、彼女が書き表す「私」を見ることができると同時に、
自分が熱心に、苦悩しながら「私」を書き表している「彼女」を見ることができないのである。